ラブライブ!The School Idol Movieを見た率直な感想
以前まで使っていたamebaのブログがどうもごちゃごちゃしてきたのではてなではじめてみることにしました。
…多分あんまり更新しませんが。
はい。
来る6月13日の土曜日にラブライブ!の劇場版であるところのラブライブ!The School Idol Movieが公開されました。
私もこちらの作品を土曜日に見に行ったわけなのですが、ちょっとそれで感想を書きたくなったので書こうと思います。
あ、特に他の皆さんの感想とか読んでない状態なので今書いてることがどうか、とかいうのは全く分からないです。すみません。
というか、書きながらいろいろ考えてるので論があっちに飛んだりこっちに飛んだりしてるし自分で言ってるのに矛盾してたりします。許してください。
ネタバレもあると思うのでそういうのが嫌な人は見ないでくださいね。
さて。
とりあえず言いたいのは・・・
この映画、難しくない???????
ってことです。
いや、正直頭の処理能力に映画の放映速度が追い付いてなかったです。
正直日曜日にもう一回見に行こうと思ってたんですが、見に行く時間がなかったのが悔やまれます。
う~ん何から書こうかな・・・
とりあえず、箇条書きにしてみよう。
1、高山みなみ
2、穂乃果たちの気持ち
3、School Idol
4、花田
5、畑亜貴は神
とりあえず、今一番話したいのはこのあたりです。
ということで、1から・・・
見終わった後、一緒に見た後輩と話したのですが
「あの幻影の人って未来の真姫ちゃんですよね」
っていう、この言葉、めっちゃ衝撃だったんですよね。
え、もしかして皆さんそう思いながら見れてた感じですかね・・・?
僕なんて、見てる間「モロ、コナンだ!!」ぐらいのことしか考えてませんでした(小学生かよ)
でも、彼女が未来の真姫ちゃんだとすると、すっごい面白いんですよね、この映画。
彼女、穂乃果と会った時「いろいろあってメンバーとは別れちゃったんだけど今はまだ音楽をしている・・・」
みたいなこと話してたと思うんですよ。
「あ、すごい!!めっちゃしっくり来るやつだ!!!」
って映画を見終わった時だからこそ思えたんですよね。
そこで彼女がなんで音楽してるのかも言ってた気がしたけど忘れちゃった☆テヘ☆
また今度見たときにシカと聞いてまいります。
で、なんですが。
彼女の持っていたマイクを穂乃果は持っていっちゃうんですけど、それがまだ家にあるのに彼女がマイクを二回目現れたとき持ってた・・・みたいなのの謎の解明にもこれはつながるんじゃないか!と思ってしばらく考えましたが結局「あれは不思議なお話だったんだ」で落ち着いてしまいました(なんでやねん)
だれか解釈があればお願いします・・・。
追記:冷静になって見返してみると瞳の色とかもろもろ的に彼女は未来の穂乃果ですかね…。すっごい適当なことを書いてしまった…。
サクッと2に行きます。
穂乃果たちの気持ち、です。
途中で書いていたら3のSchool Idolも混ざってきたので2と3ということで話しましょう。
これが本当に難しかった。
またテレビ二期の話とかも見返してからまとめて書きたい、という気持ちはあるのですが、とりあえず今の時点でかきます。
前半は海外でのお話なわけですが、後半のこの映画のメインは言わずもがな「μ'sを続けるのかどうか」であるということに関して異論は大きくはないでしょう。
その上で、
「彼女たちはなぜμ'sをやめるのか」ひいては「なぜ彼女たちは歌うのかアイドルであるのか」「なぜμ'sを続けたいのか」
これが僕はすごく考えたいです。
テレビアニメ二期で彼女たちは夕暮れの海岸で宣言するわけですよね。
「μ'sは、私たちで終わりにします」(ちょっと違うっけ??)
と。
彼女たちにこう言わしめた、その動機はなんだったかなーと少しうろ覚えな脳で考えるに、確か
「μ'sはこの9人でμ'sだから」
そういう感じの理由でよかったと思うんですよ。
それで、この劇場版です。
ファンの人気の高まりや、ラブライブ!というアイドルの祭典への貢献を考えて、μ'sを続けるべきなのでは。
という問題が浮上するわけですよね。
それでまあいろいろあって出した答えが
「私たちはScoolIdolとしての輝きを大事にしたい」
これでいいですよね?
私、映画気づいたら意識が飛んでたとかじゃないですよね?
いや、でもそれ・・・
何か、違う。
劇場版に感じる違和感の大元は、やっぱりこのあたりからひも解いていくのがいい気がするんですよね。
つまり、変にSchool Idolを意識しすぎている。
っていうこと。
いや、それは私はむしろいいことだと思っていたりします。
なぜなら、ラブライブ!の正式タイトルはラブライブ!Scool Idol Projectだからです。
School Idolのプロジェクトなんですから、School Idolがフューチャーされるのは、至極納得の話です。
しかし、でもそれはμ'sの話になった瞬間、違和感を提示してくる。
さっき私が示した質問に自分で答えていくことになりますが、「なぜ彼女たちは歌うのかアイドルであるのか」っていうのは、もちろんアニメ一期では「廃校になる学校を救うため」です。
彼女たちは、ただその目的のためだけに一心不乱に頑張ります。
ラブライブ!の魅力を作り出しているポイントとして私が好きなのが「部活もの特有の青春の煌めきとアイドルとしての輝きの融合」です。
一期の彼女たちの行動原理はまさしく部活を頑張る高校生に近しいものを感じます(まぁ実際アイドル研究会ですし)。
しかし、一期の最後で学校の存続は叶ってしまうわけですね。
では、二期における彼女たちがアイドルである理由は何なんだろう。
そう考えたときに、思うわけですが、二期では、そのあたりにあまり言及していないんですよね。
二期はファンディスク的なものだと私は常々思っていましたが、その理由の一端を知った気もします。
もちろん、「ラブライブ!優勝」、これが理由であるということは簡単ですし、廃校阻止という目的が達成できたのだから次の目標に向かって歩み出すのは部活動としては当然です。
と、ここまで書いた時点で「いや、よく考えたら理由ってそれはスノハレ回でいろいろ言ってるんじゃないか?」ということに自分で気付いてしまいました。(思い出したともいう)
彼女たちがアイドルをする理由、十分にあるじゃないですか!
考えを修正します。
彼女たちがアイドルをなぜ続けるか、は副次的な問いです。
先ほど一番に挙げた問いから考えていきましょう。
「彼女たちはなぜμ'sをやめるのか」
です。
ことが表面化する原因は、もちろん三年生の卒業なわけなんですが
今回、劇場版では「卒業をしてもアイドルを続けている人は大勢いる」ということが明かされています。A-RISEも続けるらしいですね。
なんで、それ、今出したんだ。
この事実は「μ'sはこの9人でμ'sだから」というやめる理由の根底を揺るがせます。
うーん、やっぱり、これ、脚本的に明らかにミスだと思うんですよね・・・。
続けられるっていう事実を数か月前に知っていないっていうのはさすがに・・・。
もちろん、その事実を突き付けられたからこそみんな悩んでいるんでしょうし、「私たちはScoolIdolとしての輝きを大事にしたい」という結論が出てくるわけなんですけど・・・・・・・・
ここまで書いて、やっぱり今回の映画の結論はここに集約すると思ったので話を進めます。
4、花田
です。
花田十輝さんが悪い。
すべてこれに集約していく気がします。
そりゃあ一期で終わらせるつもりだったアニメの二期とか劇場版作らないといけなかったんでしょうからいろいろ不都合が出てくるものなのかもしれませんが、もうちょっと何とかならなかったんでしょうか・・・。
話を、こうやって「SchoolIdolだから」、という形で終わらせたかったのなら、やはり二期でもっと伏線を撒いておくべきだった。
逆に、学校を卒業したらSchoolIdolはできない以上9人ではできない、という二期のスタンスを維持していくなら、こういう劇場の話の流れにするべきではなかった。
そう思ってしまうわけです。
うん、でもやっぱり私は後者であって欲しかったかなっていう気はしますね・・・。
なぜなら、やっぱり彼女たちにとってラブライブ!を大きくするということが本当にそんなに大きな心悩ます問題なのかということ考えてしまうからです。
そりゃあ、年頃の高校生がそんな大きい話悩むに決まってるだろうってそりゃあそうなんですが、でも、物語の登場人物が現実と全く同じような精神構造をしていなくてもよくないですか。
と、ここまで考えて、いや、もしかしてあの「でもラブライブ!が・・・」という悩みは9人でまだμ'sを続けたい、という心が生み出した悩みなのではないか?
ということを考え始めてしまいました。
でもやっぱりそれって二期の焼き直しな気がしてしまうかなあ・・・。
この辺はもう少し考えないと話の結論は出ない気もします。
でも、やっぱりこのあたりの話は脚本が甘い気がしてます。今は。
あー次の話に行きましょう。
5畑亜貴は神
です。
神です
もちろんラブライブ!というコンテンツが素晴らしい音楽あってこそなのは言うまでもないでしょうが、今回の劇場版の楽曲群は本当にいいです。
というかよくないですか????
ランティスの隠し玉という感じなのかは何とも言えませんがとにかくZAQさんがとうとうラブライブ!に曲を提供したというのはすごい。
他の曲たちも光っていたし・・・
でも、それがやっぱり、EDを聞くと霞んでしまう。
ED,見ましたよね。
あれ、ホントすごい。
見たらわかりますけど、歌詞にそれぞれの名前が入っているんですけど・・・(いやもうその時点でめっちゃすごいしメンバーの名前入れてしっかり曲として完成させる畑亜貴さんはこの時点で最高なんですが)
私が感動したのは、もうこの1フレーズに尽きます。
「時計を真姫戻して」
巻き戻して、なのかもしれませんが、とにかく真姫ちゃんを組み込んだ、この部分の歌詞です。
真姫ちゃんが、こんな形で出てくるという発想の時点で、そりゃあ、すごいと私も思っていました。
でも、やっぱり、一番すごいのは、この歌詞が、今回の映画、ひいてはアイドルという存在の輝きをも語っているというその部分ですよ。
やっぱり、アイドルって、永遠の存在ではない。
そうじゃないですか。
それで、今回の映画も、どういう話かって、突き詰めたら、きっとそういう話だと思うんです。
そこに、「時計を真姫戻して」
ですよ!?!?
がつーんと頭を殴られた気分です。
とにかく、実はこの話がしたかっただけなんじゃないかってぐらい、このフレーズが頭に残っています。
とりあえず、割と今考えたいことはまとめられた気がします。
まだまだ前売り券が大量に残っているので、私はとにかく早急に二回目を見に行って、この映画のさらなる理解と、楽曲の素晴らしさに耳を傾けてくることといたします。
こんな駄文を読んで下さった皆さんありがとうございました。